先日イギリス人のCGクリエイターのかたと一緒にご飯を食べました。

彼は90年代の日本のゲームやアニメのに惹かれ、日本で働いてみたいと何年か前に来日したそうです。色々と経験していくうちに新しい目標も芽生え、将来的にはイギリスと日本のゲーム文化の架け橋になりたいと思っているとのことです。

僕にはその彼以外にもゲームのお仕事をしている外国人のお友達や仲間がたくさんいます。みんなやっぱり日本のサブカルが好きで、日本で働いています。そんな僕はと言うと、10年ほど前は「いつかアメリカで働こう」と思っていました。と言うのも、ゲームを作る仕事をしていると、どうせならできるだけ多くの人に遊んでほしいなと思うわけです。

かと言って、日本で作ったゲームをそのまんま海外で出しても全然売れないケースもたくさんあります。昨今ではソーシャルゲームで勢いのついた会社が「今度は海外だ!」とか言って、日本でバカ売れしたゲームをアジア圏だ北米だヨーロッパだと出して、撃沈して帰ってくるようなパターンもありました。任天堂の倒し方は知らなかったみたいです。

ゲームに限らず、日本人はあまり外国の文化や流行を知りません。端的に言えば日本にいればなんでも揃うし安全だし、明日のご飯に困るようなケースは他の国に比べても少ないからです。安全な国にいれば、ある見方としては、想像力が奪われてしまいます。ほとんど何も考えなくても生きていけるからです。そうなると英語なんて覚えなくてもいいし、どこかの国で戦争が起きていたところで気にしなくても良いわけです。

話はちょっと戻って、世界全体で見てもゲーム市場は10年前ともまただいぶ変わってきました。昔はゲーム=日本がトップという時代もありましたが、今は昔の物語です。日本製の新しいゲームハードが海外で先行して発売されることなども、そういった時代の流れによるものだったりします。

じゃあ今後も日本のゲーム業界はどんどん元気が無くなってしまうのかというと、それは日本にいるクリエイター達次第です。僕自身はソーシャルゲームの隆盛の流れの中に身をおいている立場として、それはそれで新しい可能性を日々模索していきたいと考えてもいますが、かと言って「それだけがゲームです。日本はこれからもずっとそうです。どんどんガラパゴス化します。海外?知りません。」というのは死んでも嫌です。

そうなると日本人として、というよりは一人のクリエイターとして、新しい道を切り開くための気概であったり実力であったり、仲間やアクションが必要だと思っています。 

この10年前後でも、悪いことばかりがあったわけではありません。先述のソーシャルゲームも国内においてはここ数年で新しい楽しみ方を含めて急激な成長や進化を遂げましたし、昔は日本のゲームを海外で出す時は海外用に見た目や雰囲気をアレンジしていましたが、アニメなどが海外で「そのままの形」で受け入れられるようになってきているため、うまくやれば日本製のゲームでも勝負ができるポイントが生まれてきています。

僕が海外で働いてみたかった理由の一つに「アメリカで売れるものは世界で売れる。」というのがありました。映画でも音楽でもゲームでも、アメリカでヒットした物は必ずは世界中で売れます。ということは、「できるだけ多くの人に楽しんでほしい。」という理屈から言えば、海外で働いたほうがどう考えても良いからです。

だけどそう思うようになってから10年ぐらいが経ち、考え方がすこしだけ変わってきました。一つは「時代が少し変わってきた、やり方次第で日本からでも世界に発信できる。」ということ。そしてもう一つは、「日本製を海外に。」という考え方を捨てることです。どういう意味かと言うと、「面白いものを考える。」という段階では、最初から「日本だけを意識しなければ良い」という話です。マリオでもスト2でもソニックでも、面白いものは世界が受け入れます。「無意識下で日本人向けに作らなければ」、実はその可能性はそもそも高くなります。(甘いよとか対岸で言ってる人はそのまま対岸にいてね。)

それを実現するための一歩として、やはり海外の文化や思想については少しずつでも学ぶべきだと考えています。英語が喋れるようにならなくたって、知ろうとすることは出来ます。日本にいる外国人のかたたちと話すこともそう。そうやって自分が知っている世界の外側をのぞく癖を磨いていけば、今は気付いていない視点だったりチャンスだったりが、自ずと生まれてくると思います。かしこ。