今日はなんとなく自分の内側にあるものを適当に。たまにはそういうのも。

つい最近、小中学校時代の友達から連絡が来た。「hogehoge中学のクラスメイトのLINEグループができたから、良かったら入ってよ!」

ふいの連絡ではあったけれど、自分にも懐かしい気持ちがあったので、なんとなく参加。すると自分のことを覚えてくれていたクラスメイトたちから、「おぉ、久しぶり!」「大久保くん!元気?」 と声をかけてもらったり。

懐かしいなと思う反面、気付けばもう二十年も前のことなので、実はクラスの大半の名前と顔を忘れてしまっている。中学を出て以来ずっと会ってない人もいるし、LINEだとニックネームだったり写真が本人じゃなかったり、お互い様だと思うけど印象が薄かった人もいたりとかで、どうやっても思い出せない人もいる。

さすがに1クラス分ともなると大所帯のグループなので、みんな好き勝手に昔のことを懐かしんだり、昔あそこにあった店が今はこんな風になっているよとか、先生を町で見かけたよとか、そういう他愛も無い会話が流れていくのを、ただ見つめる。

それを眺めていて気付いたことがある。「あぁ、みんな変わってないな。」と。うん、なんだろう、良い意味でも悪い意味でもというか、うーん、それともちょっと違うというか。一番気付いたのは「あぁそうか、俺は今、東京にいるんだな。」ということ。

僕は中二の時にゲームの仕事がしたいと思って、21の時に東京に出てきた。そこから、あっという間に十五年の月日が経ってしまった。その間も殆どのクラスメイトは地元にいて、人によってはずーっとガキの頃から付き合いが続いてたりとか、地元からずっと離れないでいたりとか。

良い意味では、日々変わらない穏やかな時間を過ごしているとも言えるけれど、自分にとっては随分前のことであると同時に、ある意味で「捨てた町」での出来事だから、地元のはずなのに全然しっくり来ない。自分でもよく分からない、違和感。

東京に出てくるというのは、ゲームの仕事をしたいと思った時点である意味必然であって、特に住みたいわけでもなんでもなかった。とは言え東京でもそれなりに色んなことがあったから、どんどん自分の中で思い出なり経験なりが上書きされていったのかもしれない。そのせいか、余計に地元が遠く感じてしまう。

兄弟や親戚は全員田舎にいるけれど、いい加減みんな大人だし、それぞれの生活があるので、よほどのことが無い限り会うことも無い。そういったことも関係しているのかもしれない。

そんな僕も時々田舎に帰る。親の墓参りとか、友達の結婚式とか。少し時間がある時は、古い友達と食事がてら会うこともある。そんな中の一人、そいつとは10歳の頃から、気付けば四半世紀の付き合い。僕が中学の時にゲームの仕事をしたいと言ったら、真似して自分もゲームを作る!と言い出した奴。

最初は「俺は本気だけど、きっとコイツは冗談だろう。俺とお前じゃ気持ちの入り方がぜんぜん違う。」と思っていたものの、そいつも高校、専門と出て、地元の小さなソフトハウスに就職し、ゲームプログラマーとして自分よりも一年早くゲーム業界に入った。そんなこともあってか、そいつとは時々連絡をとっては、お互いの仕事の話をすることも。

いつだったかの会話。その友人がスマホのゲームを初めて仕事で作ることになり、通信設計周りで悩んでいた時のこと。僕もすでに何年かスマホのゲーム制作に携わっていたので、自分の中では「こう設計するのがセオリーというか、業界の常識だ。」と言うことを伝えたら、目からウロコみたいな反応をしていた。

本人がスマホのゲーム制作に携わるのが初めてだったのはあるとしても、そこで話したことは何も特別なことではなく、スマホのゲームだったら大体どんなタイトルでも「当たり前」にやっている方法、というか、プログラマーでもない僕ですら知っているような、基本的な設計の話だった。それなのに、本人はえらい驚いた様子だった。

後々になってその会話で気付いたことがあった。僕が学生の頃ですら、インターネットがこれからどんどん高速化して、情報を得ることや働くことに、差や場所は一切関係無くなる、と。 でも、これが全然違った。

端的に言えば、東京に来れば似たような目標や考え方を持った人間が必然的にたくさん集まってくるので、当然、それに伴った会話や情報に出会う機会が増える。でもそれが、田舎で周りにそんなことをやっているのが仮に自分だけだったとしたら、自分で意識して情報を探し続ける努力をしない限り、いくらインターネットがあろうがまったく関係無く、どんどん情報や思考が孤立、鈍化していくんだ、と。

実際問題、彼も年数だけで言えば十年選手なのにに、今だに薄給で雇われていることを知った。東京と地方の違いがあるにせよ、今の年齢でその収入でいるということは、そういった情報の格差であったり、本人のセンスであったりがマイナスの布石になっての結果だという見方も出来てしまう。

で、この話、もう少し広げて話すと、東京にいたとしても情報収集を積極的にやっていない、そういった現役のゲームクリエイターも全然いるっていうお話。なんだったら、情報収集以前にコミュニケーションが苦手とか言い出す始末。ゲームのお仕事と言えど、情報収集や情報交換、コミュニケーションが命だったりする場合もあるので、ここがスッポ抜けているようなタイプの人が要所要所で「しなくてもいい苦労」をしているのを、時々見かける。もっと言えば、せっかく東京にいるのに、それじゃ全然意味無いじゃん、と僕は思ってしまう。少なくとも日本では最高峰の環境が整っているのにも関わらず。

話は戻って、中学のLINEグループと、友人のその話がダブった。やっぱり田舎は穏やかなんだな、と。何も変わらないな、と。それが良い悪いということではなくて、どんなに年齢を重ねたり、町が様変わりしたところで、やっぱり本質的には何も変わらないというか、変えようがない部分が田舎の大半を占めているんだと気付いた。

別に僕が都会に染まったとか、俺って東京人だぜーとか言う話ではなくて、「自分なりにがむしゃらに前に進んできたから、そういった差異が生まれるのも当然だし、たまたま今になってそれに気付いた。」 というのが素直なところで。

でね、一応このブログはゲームプランナー向けに書いているというのもあるから、敢えてこのタイトルにしたんだけど、ゲームプランナーってある視点では「最先端を追わないといけない仕事」という側面があるのね。昔好きだったゲームに対する愛情を捨てろとか、全然そういうことではないんだけど。要するに、ゲームに限らず世の中にある「色んな楽しい」に対して、自分なりの方法で常にアンテナ張り続けてないといけない仕事なのかなと。

そうじゃないと、置いてかれるというか、ハッキリ言えば「必要とされなくなる」のね。実際問題、ゲーム業界もコンシューマ→PCオンライン→ブラウザ→スマホと、僕がいた十数年だけでも目まぐるしく流行りが変わっていて、その中で古い考え方の人、例えば「コンシューマ以外はゲームじゃない。スマホのゲームなんか作りたくない!」なんて思ってる人は、必然的に必要とされなくなるから、遅かれ早かれ消えていくんだよね。ないし、その思考のまんま年だけとってしまう。そうなると、僕の友人のように安く雇われるだけの不遇な末路が待っている。

僕も「個人的な感覚だけ」で言えば、コンシューマを遊んでいるほうが全然楽しいし、スマホのゲームなんて見た目だけゲームにしたコスい集金ツールじゃんとか見下している面も正直、今の今でもあります。そういったゲームを作る側も遊ぶ側も馬鹿だな、と思っている部分、やっぱり何処かしらありますよそれは。だってコンシューマゲームに育てられて、この仕事を選んだんだから。

ただね、僕は今現役でプロのゲーム作りをしている。有名かどうかとか関係なく、少なくとも十数年はそれでご飯を食べさせてもらっている。そうである以上は、自分が携わったタイトルがどんなプラットフォームでどんな内容だったとしても、「自分がやる以上は、ユーザーに絶対面白いと言わせてやる。」という、役に立つのか立たないのか分からない誇りだけは持っているのね。というか、それが無かったらこの仕事しちゃ駄目でしょぐらいに思っているので。

もっと言えば、今後も僕はゲーム業界で今まで以上に頑張っていきたいと思っているし、自分にしか出来ないことを実現するための手段として、自分の会社も作ることにした。要するに、「今の自分を常に否定しながら、どんどん前に行かないといけない。」っていうことを、自ら選んで生きているというか。恐らくこの考え方は、ゲームプランナーとしてやっていくなら、必須のスキル?というか考え方なんだと思っています。

で、そうなると、田舎のことを時々思い出すことはあっても、「戻らない選択」を自分は知らず知らずのうちにしていたんだな、じゃあ違和感があっても当然だよね、だって自分の意思で前に進んでるんだもんね。と、改めて気付いたというお話しでした。

なんの役に立つとか関係無く好きなこと書いちゃったけど、一人でも二人でも共感なり気付いてくれる人がいれば、このブログ的には大丈夫でーす。かしこ。

hoge