久しぶりの書き込み。またどちらかというと雑念系です。 

ここ半年ぐらい僕はすっかり格闘ゲームにハマっています。前から好きだったんだけど、特に今年は今まででも一番ぐらいに遊んでいます。

きっかけは今お邪魔している会社で休憩時間にみんなでゲームを遊びたいと思い、家で眠ってたゲーム機とソフトが勿体無いからと、会社に持っていったことでした。それから格ゲー好きがちょいちょい集まり出して、他愛も無い時間を過ごすようになりました。

そんな中でニコ動のドワンゴさんが主催する、第一回企業対抗格ゲー大会の記事を見かけ、「どうせだったらこういうイベントにみんなで出るのも面白そうだな、ゲーム会社なんだし。会社の宣伝もできるし。」そんな、なんとなくな感じで続けていきました。

元々下手の横好きだったのもあって、いざ大会に出場するものの何も出来ないぐらいにボコボコにされました。だけどその時に感じたのは「あぁ、こういうイベントって、すごい面白いな。」ということでした。同じゲームを好きな人が同じ場所に集まって、勝ったり負けたり、一喜一憂する。そういった空間自体がすごく魅力的に感じました。

そんなことがきっかけで、僕の中の格ゲー熱というか、そこにまつわる色んな事柄に少しずつ興味を持ち始めます。

先ずは単純に、もう少し格ゲーが上手くないたいと思ったこと。おかげ様で大会以来ほとんど毎日、会社や家で遊んでいます。人として大丈夫かと思うぐらいに。挙句の果てには会社のレクリエーションとして社内格闘ゲーム大会を主催、当日は3人1組で9チーム、27人もの人が参加してくれました。

最初は3~4人で適当に遊んでいた集まりも、気が付いたら17人の立派な社内サークルに。今は、来年の他の会社と対抗戦をやるための選抜メンバーを決めるための、社内リーグが開催中だったりします。会社の集まりに限らず、ゲームをきっかけにこういった色んな人同士のコミュニティが広がっていったら、今よりももっとゲームの魅力が生きるのかなと、日々感じています。

それ以外にも僕は格ゲー(というかULTRA STREET FIGHTER IV限定なんだけど)にまつわる物に対し、だいぶこじらせてしまったようで、この半年だけでも格闘ゲームのイベントや大会をアホほど観たり、格ゲー関連の書籍や漫画、サントラを買いあさってみたり、プロゲーマーのかたとも沢山お会いする機会があったりと、気が付けば毎日何かしらの形で格ゲーに携わるようになっていました。 

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格ゲーの大きな魅力の一つに「自分が頑張った分だけ強くなる。」というのがあります。技を覚えたり、コンボを練習したり、色んなキャラクターと戦って攻略法を考えてみたり。コツコツやってれば少しずつ上手くなるので、それが純粋に嬉しいなと思うと同時に、他のゲームに比べてもゲームデザインがシンプルかつ奥深いもので、何度やっても毎回新しい発見があります。そういった「掘っても掘ってもまだ何かが出てきそうなところ」が、僕にとっては飽きもせずにワクワクするのかもしれません。

とは言えさすがに毎日やっていると、飽きというよりも「壁」を感じるようになってきます。いくら練習しても難しい連続技があったり、ネット対戦などでなかなか勝てなくなってきた時です。もっと上手くなりたい、負けたくないと思うと、それに合わせて更にたくさんゲームを遊ぶわけですが、かと言って体感的に「上手くなってる、強くなってる。」と感じにくい時期に差し掛かります。

そうなってしまうと、グルグルと色々なことを考え始める。「いつもはこうするけど、こうしたらいいのかな。」「でもそれじゃ相手にカウンター食らってボコボコにされるよな……」「むしろ相手が怖くて動きが悪くなってるかもしれない……」「ここから先は俺の腕では無理かな……」「一回、ゼロから練習しなおした方がいいのかな……」「もしかして俺には格ゲーのセンスが無いかもしれない……」

こんな感じで。そうすると、なんとなく苦しんでゲームをやっているような窮屈ささえも感じるようになってきます。

でも最近、「この考え方自体が良くないんだ」ということに気が付きました。というよりも、「本来は別々のものを一緒くたに考えていること」に気付き、それじゃいつまで経っても考えがまとまるわけが無いんだと。

端的に言うと「勝つこと」「負けないこと」「強くなること」は全然別のものだということです。話が格闘ゲームなので分かりづらい人もいるかもしれませんが、意外とゲームに限らず日々の色々なところで共通することが多いように思います。

先ず、「勝つ」ということは、本来「勝つべき要素がキッチリ揃っている状態」を指しています。目の前の勝負やルール、相手を充分理解し、それに対して完璧に近しい準備をしっかり備えてこその勝利というわけです。なので偶然とか、たまたま運良く勝ったというだけでは、本来の自分の実力とは関係の無い要素も多分に絡んでいるので、本質的には勝ったとは言い難い状態です。偶然で勝つということはつまり、次回も同じやり方でやったところで、勝つ保証など無いからです。例えるならば、宝くじのようなものかもしれません。

それに対して「負けないこと」というのは、一見理屈上は「勝つこと」に同じだと思いがちですが、本質的には全然違います。例えばネットで他のプレイヤーと対戦をする場合、当然ながら自分よりも強い人もいれば、弱い人もいます。そんな中でわざと自分が勝てるような相手ばかりと対戦していれば、当然ながら「見かけ上の成績」はどんどん上がっていきます。かと言って、そんなやりかたで積み上げたものはとても脆いもので、いざ強い相手と戦わなければいけない時に自分の弱さを露呈してしまうのは、火を見るより明らかです。

また、自分の中に「これをやっておけば負けない」というパターンを作ってしまうことも、ともすれば同じことです。勝ちパターンを見つけるという点では一見強固な論法にも見えますが、仮にそれでは対応できない状況が生まれた場合には、簡単に壊れてしまう状況を自ら生み出していることになるので、同様の脆さがあります。守りに入っているという言い方もできるかもしれません。勝てる相手としか戦わないのだから。

かたや「強くなること」というのは、本来「目先の勝ち負けとは無関係」です。強くなる=「今の自分に足りないことを見つける力」だと考えるならば、例え試合に勝ったとしても「何かしらの発見」が無ければ無意味ですし、たとえ負けたとしても「そこから学びがあれば良い」ということになります。逆に言えば、単純に眼前の結果で「勝った!」「また負けた!」と一喜一憂するだけで、「何故勝てたのか?何故負けたのか?」という「自身の脳内化学」を放棄している限り、恐らく成長は止まってしまいます。

僕が遊んでいるウル4という格闘ゲームは、ネットに繋ぐことでオンライン上で他のユーザーと対戦をすることができます。勝負に勝つことで勝利ポイントが貰え、それが少しず貯まっていくことで、プレイヤーとしての実力を測るためのランクが表示されるようになります。負けた場合はポイントが下がってしまうため、勝ったり負けたりしていると、あるタイミングを境に、なかなか自分のランクが上がりにくくなります。

最初の頃は少しずつランクが上がることが楽しいし、それがゲームをプレイするためのモチベーションにもなるのですが、ポイントが上がりにくくなると、前述の「負けないこと」を無意識に意識し始めるようになります。これがとても良くない。自分の持っている物だけで守りに入ろうとするものだから、結局は成長が止まったままなので、当然なかなか勝てなくなります。

要するに、先ずは自分の頭の中にあるものがどれか?ということを気付きさえすれば、自ずとやるべきことがはっきりするわけです。僕は最初、勝ちたい、負けたくない、と思っていましたが、今は「強くなりたい」というのが明確です。それもあってか勝敗でポイントが上がっても下がっても全然気にしなくなりました。それ以来、相手と戦っている時にあれこれと色々なことを試してみて、何か一つでも小さな発見をできた時の喜びのほうが大きくなりました。

要領の良い人のようにサクサクと物事を進めるようには行きませんが、例え小さくても日々新しい発見があれば、少しずつゲームも上手くなると思って今は頑張っています。そして何より、勝ち負けに拘らず「楽しむこと」こそが、ゲームに限らず仕事でのなんでも、あらゆることにおいて、必要不可欠なんだと思います。

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