休みの日なんでゆったり書ける。

みなさんマイケル・ジャクソン、好きでしょうか。最後のワールドツアーを目前に若くして亡くなってしまった、世界のスーパースターです。実現されることの無かったツアー「THIS IS IT」は、そのオーディションやリハーサルの風景を繋げて、映画化、映像化されました。



その映像の中で僕が好きなシーンがあります。リハーサルのステージ上に立つマイケル、音や光のタイミングについて、スタッフに細かい指示を出します。スタッフからすれば「うーん…それはどうだろう?」という気になったのでしょう、「いや、こっちの方がいいよ。」と言います。でもマイケルはそれでは納得しない。で、それを理解してもらおうと思った時に出た言葉。

「解ってほしい…これは…(んーと)……愛なんだ。」

映像を見た当時は「何言ってんだこの人。」と思ってたんですが、最近なんとなく理解できるようになってきました。モノ作りという仕事をしていると、当然ながら「物を作ること自体」に情熱を注ぎがちです。それ自体は悪いことではないと思います。しかし、その「物の向こう側」には、それに触れる人がいて、その人の中に生まれる感情があります。

要するに、事象であったり物体であったりという意味での「物」というのは、人と人との間にある「中間デバイス」に過ぎず、あくまで受け取る側の心が動くところまでで一つの物語が完結します。それはゲームも同様で、僕は自分が作ったゲームの中身よりも、それを遊んでくれた人達がどんな気持ちでいるのか、そっちのほうが断然気になります。


以前僕が携わってゲーム。サービス自体は残念ながらずいぶん前に終了してしまいましたが、そのゲームをきっかけに、今でもユーザー同士が交流を持っています。登場キャラクターについて熱く語ってくれたり、色々な思い出を話してくれたりしています。サービスが終了する時にはユーザーのみなさんからお花や想いを込めたアルバムを作って送っていただき、作り手として想像以上の経験が出来たと思っています。

僕はゲームを作るということは「神様になること」だと考えていた時があります。自分が想像した世界が形になり、それをユーザーが遊ぶ。でもそれは少し違うんだな、というのを気付かせてくれたタイトルだったように思います。

普通、ソーシャルゲームやオンラインゲームのような通信を前提としたゲームが終了する場合、以後ゲームそのものをプレイすることができなくなります。仕組み的な話をすれば、ユーザーのプレイデータは全てサーバ上で管理されているので、そのサーバを落としてしまえば、アクセス出来なくなるからです。

ということは、自分が一生懸命育てたキャラクターや、一緒に遊んだ仲間達、冒険の軌跡、そう言ったものには二度と触れられなくなるわけです。今でも年に数十本のソーシャルゲームがサービス終了を迎えており、今後もその流れは変わらないのだと思います。作り手としても辛いことですが、ユーザーのほうがもっと辛いと思います。

でも、その担当していたサービスは違った。サービス終了にあたり、オンライン上に残していたユーザーの情報を全てローカルに移せるように”無理矢理改造”しました。要するに、いつでも育てたキャラクター達に会えるようにしてから、サービスを終了したんです。当然もうアップデートはされませんし、ストアからは消えているアプリなので、これからそのゲームを遊びたいと思っても、無理です。

僕は当時すでにそのプロジェクトから離れていたので、それを知った時に「愛だな。」と思ったんです。きっと会社の許可もとらずに、裏側で勝手にこっそり進めていたのかなぁと。でもそれは正しいと思います。「ユーザーが頑張って手に入れたキャラクターや”思い出は、すべてユーザーのもの。」という答えを、作り手として最後に残したんだと。おいそれと他の人が真似できることではない。

もしも自分が神様だったら、その世界に起きることは全部知っていると思うんです。でも、このサービスからは教えてもらったことのほうが断然多かった。そんなこともあってか、少なくとも僕のゲーム論からは神様説が無くなりました。何論かはこれからも模索し続けることになるとは思いますが、少なくとも「愛が込められていないもの」は作らないように、届けないようにしないといけないなと。

ともあれ、物理的にサービスが終了したとしても、ユーザーの想いや体験が終了していないのなら、その役目はまだ終わっていないんだと思います。

いつしかちゃんと何かしらの形で皆さんにお返ししなくちゃです。かしこ。


ファンの方からいただいた、登場キャラクターの自作イラストが書かれたチョコレート!
愛だな、愛っ。本当にありがとうございま!!!(・ω<)~♪ティーンッ

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