ゲームのお仕事をしていると、しばしば「論理的に考えるべきか、感情的に考えるべきか。」というジレンマにぶつかります。で、大概の場合「自分は論理的だから」「俺は感情優先だから」と言ったように、自分の性格を軸にして物事を決めがちな人もいます。

お仕事としてのゲーム作りにおいて熱量が必要なのは当然のこととして、 コンピュータ上で動くためには論理的な思考も必要になります。時々「ボクは絵も描けないし、プログラミングもできない、だからプランナーをやります。」みたいな人を見ますが、そういう場合はわりとガッツリ感情に寄ってる人が多いような気がします。そうなると、面白いとこばっかり考えて、ちゃんと論理的に煮詰めていかないといけない部分がおろそかだったりして、結局のところその人が考えたゲームやアイディアはイマイチだたり、仕事をする上ではその当人すらイマイチな場合もあります。

どっちが大切かと言われれば「どっちも大切」です。個人の好みで好き勝手に決めて良いものではありません。僕はグラフィックデザイナー出身だということもあり、ゲーム業界に入りたての頃は感性をとても重要視していました。しかし、プランナーになってからは何処までも論理でした。画面仕様、データ設計、レベルデザイン、制作進行。さながらリアルタイムでパズルゲームを数学的にパチパチやっているような感覚が、ゲーム作りにはあります。 とは言えなんのために作っているのかと言われれば「ユーザーの感情をふるわせるため。」なので、やっぱりどっちも大切なのは間違い無いようです。

で、いつだったかに気付いたのですが、「論理か感情か?」という考え方をするから、無意味なジレンマに囚われるのだなぁと。2つの物体が存在しているようにイメージしてしまうと「どちらかを選ばないといけないような気がする。」「両方を気にしながらやらないといけないのが辛い。」みたいな、誰にも頼まれていないはずの感情に苛まれます。

いつだったか読んだ本に「情理」って言葉があって、僕的解釈だと「論理と感情を繋ぐ接着剤、または道」みたいなものなんだなぁと。二つの離れた島があって、そのままだと独立したそれぞれの物なんだけど、そこに情理っていう橋をかけてあげたら、どっちからも行き来できるようになってみんな幸せに暮らしましたとさ、的な。

そこからもう少しアドバンスして、情理=「論理と感情を掛けあわせた言葉」 とすることにしました。実際は違いますよ?本質的には大体合ってるけど。

で、そこからは何かゲーム作りで物事を考える時は、「情理的に合ってるか合ってないか?」というように考えるようになったら、ずいぶん楽になりました。端的に言うと「感情的にあ合ってるけど、論理的には間違っている。」もしくはその反対、というものでは、ゲーム的にはイケてないものが生まれやすいような気がしているので、この「情理的に合っているか?」であれば、両面を満たしている結論だけが導き出せるんだと思います。 

もう少し言うと、ユーザーの気持ちは「感情と論理の間をゆらゆらと行き来する。」と思っているので、その「ユーザー感情のストーリー経過」という意味でも、この情理的に考えるということは、合っているように思います。

そんななんで、感情的なタイプのかたも、論理的なタイプのかたも、ゲームプランナーを目指すのであれば、そんな感じの考えかたもあるかもなーと思ってもらえたら、ちょっとだけ嬉しいでーす。なんだか今回はテレビ寺子屋みたいだったね。(ΦωΦ)ギラーンッ

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こちらの写真は「フリー素材アイドルMIKA☆RIKA」のお二人でーす。(・ω<)b