ゲームを彩る上で重要なこととして、世界観や物語、キャラクター設定、演出などがあります。僕はプランナーの仕事の中でも特にそこが苦手なので、お仕事としてはなるべく引き受けないようにしています。とは言えそこがあるのと無いのとではゲームの出来栄えが別ゲーかと思うぐらいに変わってくるので、軽視するわけには行きません。

元となる世界観や物語などの設定については他のプロのかたにお願いしますが、それらがちゃんと生きるための「根本にある動機(バックボーン)」や、最終的な「仕上がり」については、きっちり責任を持ってやる必要があります。

ゲームの世界は現実的なものばかりではありません。例えば剣と魔法の世界だったり、超人的な必殺技を持っている人間がいたり、巨大ロボットやらタイムマシンやらが当たり前に出てきたりします。そういったファンタジーと言うものは「非現実的」という捉え方ができると思います。現実ではありえないからワクワクする。現実にこんなことがあったら凄いよなーという想像でワクワクする。マンガやアニメ、ゲームが好きな人だったら、そういった何かしらのファンタジー的な部分に何度も魅了されてきたと思います。

かと言って、ファンタジーだったら何でもかんでもアリなのかと言われると、意外とそういうこともありません。ファンタジー世界の人達だって食事もするし、疲れたら睡眠をとる。家族がいたり、学園生活を送っていたり、賞金首を狙うハンター=それを生業として生計を立てている人なんてのもいます。こんな書き出しかたをすると、結構普通の現実世界と共通することが多いと思います。

こういったファンタジーの世界を描く際に個人的に重要だと考えているのがいくつかあって、「バックボーンはキッチリ作ろう」と言うことと、その上で「どこをリアルにして、どこを嘘にするか?」ということです。もう少し言うと、「リアルとリアリティの違い」を明確にすることが大切だと考えています。

例えば剣と魔法の~みたいな世界を作る時、じゃあその剣の腕前はどこで習ったの?とか、魔法は誰から教わったの?というようなバックボーンを設定することは、世界観や物語の深みを生み出します。ここを「生まれた時から何も考えずとも、何故か出来てしまっていたんだよ。」としてしまうと、一気に世界が薄っぺらいものになってしまいます。その先の物語もかなり展開しにくくなるでしょう。

ドラゴンボールの孫悟空が、実は生まれたての時に地球を滅ぼすために送り込まれた宇宙人だったって設定、初めて聞いた時はビックリしたものでした。どう考えても後付けだとは思いますが、そういったバックボーンをあてがうことで、一気に物語が立体的でドラマティックになります。ワンピースが早い段階で人気を得た理由の一つに、主人公となるメインメンバー達の子供の頃にあった出来事を、サッサと表現したことはあるのかなーと思います。

人間はそういった人物のドラマに振れることで、よりキャラクターに対して愛着や共感がわくからです。そこがあまりにも非現実的だったり、読者の感覚とは違うものだったら、そこまでキャラクターに対する愛着がわかないと思うので、そういった点でワンピースは上手いなぁと当時から思っていました。

こういったことをキッチリ裏側に設定してあげることで、プロのかたに頼む場合も「なるほど、このキャラクターは人見知りに見えるけど、実は優しい心の持ち主なんですね。」とか、「こういう性格だったら、しゃべり方は結構キツイ感じのほうが似合いますね!」と言ったような、キャラクターを仕上げる時の大きなヒントになります。

これが「主人公、男、23歳」「ヒロイン、女、17歳」ぐらいの設定だけでシナリオライターのかたに頼むようなことがあると、ワケガワカラナイヨとなってしまいます。それぐらいの設定だったらバカでも出来るし、他のゲームの23歳と何が違うのかも分かりません。かと言って「剣の使い手、熱血漢、車輪眼の持ち主」とか足しただけでもぜんぜん駄目。よく素人の同人モノとかでそういうの見ますけど、めちゃんこ寒気がします。

ここで足りないと思うのは、どこで生まれてどんな生活を送ってきたか。その場所はどんなところか。そこで育つことでどんな性格になったか、物語の中で今主人公はどこに向かおうとしているのか、その理由は?と言ったようなことを、キッチリと作っていく必要だということです。それがあることでようやくシナリオライターさんは、「だとすると、こういう部分はこうですか?」とか「次の展開を考えると、ここでこういうことを主人公はしそうですよね?」と言ったような、質問や提案が上がってきます。

こういったバックボーンというものが無い状態では、RPGだけに限らず、他のゲームを作る上でも足りないだらけになりがちなので、きっちりとそういった世界観のセットアップはしましょうねというお話しです。マリオですら「ピーチがさらわれたから助ける」という明確な理由がありますし、スト2のリュウですら「俺より強い奴に会いに行く。」とか、20年以上言い続けています。こういったステレオタイプなりにも、ちゃんとした動機を持っていることは、その後の世界を広めるという意味では、とても重要なことです。

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そしてもう一つ重要視しているのが、そういった世界を演出する上で重要になってくる、リアルとリアリティの部分。ここは人に寄って表現方法や感覚的な部分に差が出るのですが、苦手なりに僕の考え方はこうだよぐらいに思ってもらえればと。

例えばロボット物のアニメなどで、自機に致命的なダメージを受けた時、コックピットに搭乗している主人公が、やたら色々なパネルをいじったり計器を確認したりするシーンがあります。主人公としては不利な状況ではあるけれど、なんとかそれを打開したいという気持ちと、それに伴った焦りが感じられる緊迫したシーンです。

このシーンをリアルに考えてみると、そういった焦っている状況に対してやたらと確認項目が多かったり、複雑な手順を踏まなければいけないというロボットの設計自体が良くない、という見方もできます。アレコレ操作するのを全部オートメーションにしておけばいいじゃんとか、複数の操作をしなければならないところを、ボタン一個で済むようにすればいいじゃんとか思うわけです。

でも、そうしてしまうと「致命的なダメージを受けた→すかさずボタンを一個だけ押す」という流れになり、「それは確かにリアルかもしれないけど、焦る感じがまるでゼロ」となり、リアリティからは遠くかけ離れてしまいます。

ここで言うところの「リアリティ」というのは、ロボット自体の設計がリアルであることは重要ではなく、「焦っているシーンであること」としてのリアリティが必要となります。そうなると、アレコレいじらないといけないほうが、結果的に「リアリティ」は感じられるという論法になると思います。これがいわゆる「リアリティを感じるための嘘」とでも申しますか、結構そういう視点で観るとアニメとかゲームでは、そういった論法をよく見かけると思います。

他にもドラマなどで観られる、セキュリティの硬いパソコンやネットワークなんかを、やたらキーボード操作だけでカチャカチャやって突破する、なんてシーンがありますが、そこも「マウス使えや」とした時点で、何かリアリティからかけ離れるような気がします。

これは、マウス=誰でも使える=庶民的、という無意識の常識があることに対し、キーボードを使う=賢そう、というイメージを誇張するために行われているものと考えられます。「セキュリティを突破できる=頭いい奴」ということを、映像を通してそれっぽく見せるための手法というわけですね。 

宇宙船がやたら隕石をかわすシーンも、屈強な刑事が鍵のかかったドアノブを拳銃一発で破壊するのも、お爺ちゃんが名探偵でことあるごとに殺人事件に巻き込まれる高校生も、宇宙を舞台にした話なのに全員地球語喋れるのも、現実的に考えれば「んなわけねーだろ!」と思うわけですが、そこはここで言う「リアリティ」を表現的に突き詰めていった結果なのだと思います。

ゲームなんかでもそういったことを表現するために用いられているものがたくさんあります。例えば飛空艇ってなんであんな設計で飛ぶんだよとか、なんで死んだ人間が教会に行くと生き返るんだよとか。全部「不思議力(ヂカラ)」って言ってしまえばそれだけなんですけど、何でもかんでもそれで片付けてしまうと先ほど話したバックボーンが薄くなったり、リアリティが無くなったりします。

ここは不思議力なりにちゃんと理屈、というか屁理屈を考えて、その中でプレイヤーである「現実の人」がスッと受け入れてくれるようにしていく必要があります。 宇宙人がやってきてーとか、隕石が降ってきてーとか、時空の歪みがどーたらでーとかとか。なんにせよそういったきっかけを一つ作って、そこから全ての状況が一本の線に繋がるようにさえ考えていれば、この「非現実的な世界」と「リアリティ」は同居できるんじゃないかなーと思います。

長くなったので今日はここらへんで~( :3 )<

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