今日は朝の早い時間から、任天堂の岩田さんの訃報がありました。世界中のゲーム業界人、ゲームファンにとって、とてつもなく大きな衝撃となってしまいました。僕もMOTHER2が大好きだということもあって、一個人としても本当に悔しいです。

僕は毎年東京ゲームショウの季節になると、ゲーム業界のお友達が開いてくれるパーティーに遊びに行きます。そこには業界関係者がたくさん遊びに来るので、同窓会みたいな気分でいつもワクワクします。ほんで、一昨年のパーティーの時、ちょうど直前に岩田さんの前の任天堂社長、山内さんが亡くなられました。

そんなこともあって、パーティーのお酒を気分的には献杯というかたちで呑みました。それから二年、誰しもまさか岩田さんがこんなに早く逝かれてしまうだなんて思ってもいなかったでしょうし、また今年のお酒もそうなってしまうことに、特別な寂しさを感じます。

山内さんが亡くなられた年のまだ寒い時にも、鬼才と言われた飯野賢治さんが亡くなられました。数日前まで普通にTwitterでつぶやいているのを見かけていた中での出来事に、衝撃を覚えました。 僕は飯野さんのTwitterを今でもフォローしているし、ある時Twitterで絡んだら、他人の僕にも気さくにカッコイイ感じのリプライをくれたりして、嬉しかったのを覚えています。

一昨年のパーティーで一緒に献杯してくれたかたが、山内さんが亡くなられたことに「一つの時代が終わった感じがしますね。」と仰って、確かにまだ30年ぐらいの若い産業ではあるけれど、確実に時間は進んでいるんだな、と感じたのを覚えています。

僕はちょうど20年ぐらい前からゲーム業界を志して、その頃は毎週必ずファミ通を買って、毎回毎回ワクワクして。それから「自分も絶対面白いゲームを作れる人間になるぞ!」と思い続けて、今。

自分が想像していたような状況とはちょっと違うけれど、運良く今でもその気持ちは変わっていないようです。それも同じ業界で自分と一緒に戦ってくれた仲間や、何も知らない僕にたくさんのことを教えてくれた諸先輩方のお陰だと思っています。

ただ、その「ちょっと違う」というところ。あんまりうまく言葉に出来ないんだけど、そのまんまでいいのかな?と思います。だって、ちょっと違うわけでしょ。大体合ってるとしても、「ちょっと」違う。何が違うのかなーと5分ぐらい考えてみる。

で、多分今はこの言葉が一番腹落ちする気がしてるんだけど、僕は「ゲーム業界に携わりたい」わけではなくて、「面白いゲームでユーザーをワクワクさせたい。」っていうのが14歳の時からの夢、というか目標なんだと。その上で、ほんのちょっとだけでもゲーム産業全体にとって、良いきっかけを作っていきたいんだなーと。

何年か前から本当にいい出逢いがたくさんあって、自分自身色々と勉強をさせてもらいながら、おぼろげな次の目標も少しずつ見えてきました。

やっぱり僕はゲームが大好きだし、ゲームを作る仕事や仲間を誇りに思っているし、その「ちょっと違う」を、ここ数年かけて軌道修正していって、「みんなが好きなゲームを作る人。」になっていきたいなと思います。今の自分の表現力では、これが精一杯。

飯野さんや山内さん、横井さん、岩田さん。そういった人たちが頑張って作り上げてきた「ゲーム業界」の次の世代として僕自身、今一度初心に帰る気持ちで、「本当の自分」になっていこうと思います。んー、なんだかちょっとだけ、オネットから旅立つネスの気分。不安半分ワクワク半分。やったるぜー!

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