「反省だっちゅ~の」
今々3Dキャラクターを使ったゲームの制作をしています。企画の僕はグラフィックアーティストに、キャラクターの"モーション"が何種類、どんな物があるかをオーダーします。立ち、歩き、座り、攻撃、被ダメージ、そんな感じで。これで良しと思って数日後。アーティストから連絡が。
「大久保さん、モーションリストの"だっちゅ~の"って何ですか?命令形ですか?」
アーティストはイギリス人だった。伝わるわけが無い。なんだったらもう二十年近く前のギャグだ。 むしろ「命令形ですか?」のくだりに「…確かにそういう解釈もできるな…。」と吹いてしまった。
資料を作る時には「受け取る相手が分かるように」と言うのを普段から気をつけていたつもりが、思わぬところで気付かされ、久しぶりに恥ずかしいな自分、と思った。
今進めているプロジェクトで日本人は僕だけだ。あとはイギリス人と韓国人。打ち合わせは日本語のできる韓国人が通訳してくれるので問題無く進行するが、伝えてほしい意味や言葉を選ぶのは難しい。「女豹のポーズで!」っていうのも伝わらない。
でも久しぶりに「伝わらないって面白い。」と思ってる。新鮮なメンバーと熱いタイトル作り。
「人間観測」
自分が一番可愛いと思うタイプの人間は、日々の選択を目先の損得で考える傾向にある。自分が得にならないと思うことにはエネルギーを注げない。その上で自分にとってのリスクに対しては「最低限の労力」で回避しがちなため、結果的に「外面だけは良い」というケースに必然的に収まっていく。最近そういった人間が身近に少し多かった。
人の顔色ばかりを伺っているというのは、むしろ自分がどう見られたいかという欲求の裏返しでしかない。端的に言えば、他人にはまったく興味が無い、そのくせに他人を脅威だと思っている。自分が幸せになるためには人を幸せにするための行動をとる、という理屈が筋としてかよっていない。
あくまで自分の損得勘定に対して、論理的ではなく感覚的に、無頭ガエルの脊髄反射だけで泳ぎ続けている状況。世の中には色んな人間がいるから、それはそれでどうぞとは思う反面、十中八九その向こう側にあるのは袋小路。気が付いた時には自分のことを誰も見てくれていない状況になる。
良く思われたいと思っていたはずが、誰からも心を貰えなくなる。思い描いていたものとは、まるで反対の結果しか残らない。とは言え自業自得、他人が助けてあげられるものでもない。人に好かれたいと思うなら、とても単純な話、先ずは全裸になるところからだ。お前のパンツの色は何色だ。
「ぼく」
気が付いたらここ数ヶ月で変な肩書きが増えている。本職のゲーム屋、会社の取締役、ゲームの家庭教師、専門学校の先生。本を出して以来、色々なかたからお声がけいただけるようになった。そんな中で「こんなことをやってみないか?」というお話。
僕は大体、熟慮もせずにその場で「あ、それでお願いします。」 と言う。単純に言えば、やったことが無いことを経験してみたいと思うからだ。もう少し言えば、こんな僕に少しでも可能性を感じてくれていること自体とても嬉しいし、チャレンジしてみたいとも思う。その先にお互いにとって、今よりも少し新しい未来が待っているのならば、挑戦しない理由は無い。そもそもよほどのことが無ければ死にゃしないし理論。
とは言え僕は人よりも肩書きに興味が無い。そんなのは後付けだからだ。何をやってようがやってまいが、僕は僕なのだ。今日も一日の終わりに宇宙まとめを見て、XVIDEOに新しい未来を探しに行く。それが僕なのだ。